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最近は少し変わってきたようだが、小学校の運動会で競技の順位を つけない時期があった。通知簿の評価を拒否した先生もおられた。 1985年前後私の子供たちの小学校では運動会の昼も給食だった。 出席できない親の子供が可哀想だから・・・・・とのこと。 私たちの時代の運動会は親はもちろん地域の祭りで、昼は近所の家族とともに 母親の心づくしの弁当を囲み、運動会か遠足でしかお目にかかれないバナナも あった。勿論親の来られない友達(父親が戦死された方も)もいて、そういう子には あちこちから「○○ちゃん一緒に食べよ」と声がかかり分け隔てがなかった。 自然に心使いを学んだように思う。 私は高校2年2学期から一人で住みだし、 最初の遠足で下宿の弁当は鯵の開きのみ。だが秋の運動会では友人達が二人分の 弁当を持ってきてくれ、なんと4人分の弁当が集まった。友人のお母さん手作りの 「おにぎり」がどんなに美味しかったことか。4人分をどのように食べたか おかずはなんだったかすっかり忘れてしまったが、今でも「おにぎり」が大好きである。 一昨年、小学校卒業50年目のクラス会に出席した。「S君は理科博士だったね」 「M君は国語が得意だったから高校の国語の先生になってると思っていた」等々 皆それぞれの特徴、特色を覚えていた。勉強はもうひとつだが運動会になると 一等賞の赤いリボンをいくつも勲章のように胸に付けてもらいキラキラと輝いていた 友もいた。 O君は父親が亡くなったため泣く泣く高校を中退し家業を継いだが 今では地域の名士で郷土史を研究しているようだった。T嬢は「私登校拒否児だった」 そうだがドッグセラピーのプロとなり講師もしているとのこと。 人間百人いれば百様の生き方があり決して同じものはない。同じではおかしいのだ。 平等とは同じではなく百様の生き方ができるのが平等だと思う。
by iagan6
| 2006-03-13 15:43
| 平等ってなんだろう
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