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長友が移籍後初ゴールを決めて「おじぎ」をしていた。 そうだよ。日本の礼は「おじぎ」 前々から気になっていたのだが、メジャーリーグに移籍した 野球選手達は「合掌」している。 日本で合掌するのは僧侶ぐらいしかいない。 誰かひとりぐらい日本の礼は「おじぎ」だよと、外人たちに教える 選手はいないものかと、少々腹立たしく思っていたのだが、 長友がやってくれた。長友に拍手。 ついでに、食事前後の合掌。これも気になる。 いつからこうなったのか。 #
by iagan6
| 2011-03-08 17:37
| 雑感
昨年暮 林先生の「お別れ会」久しぶりにお会いでき場所柄もなく 楽しいひと時でした。前回よりもお元気そうで安心しました。 たった一度の出会いなのにどうしてこんなに懐かしいのか不思議でした。 古い古い日記をひっくりかえしてみました。 以下抜粋 ---私の或る意味での冷たさが彼女らに不快を与えはしないかと心配したが、 彼女らの素直さは私の欠点さえも容認してくれた。私は今までこれほど 素直な女性を知らない。女性特有の他人の欠点を捜すというイヤラシさは 少しもない幼い子供のような可愛らしさだった。----- ---キチッとした家庭に育ったこんな女性も居るのだということが嬉しく そこで養われた幼いまでの素直さがどんなに力強いものであるかよく 分かったような気がする。----- いまごろ古い話でごめんなさい。 ではお元気で。 #
by iagan6
| 2011-01-18 13:41
| 雑感
今年も広島の町に美しくもせつない鐘の音が鳴り響いた。 この音が世界中の人々の胸に届きますように。 オバマ大統領の演説は現実性の希薄なものと思っていたが、少しずつではあるが 核兵器廃絶の道が見えてきた感じがする。国連総長、米大使の出席。 大きな前進である。米大使の出席をエノラゲイ機長の子息が批判しているように 米国の大勢は変わらないが。 何年か前は日本の原水爆禁止運動も、イデオロギーの違いから分裂し 広島、長崎の原爆の日も今日のような盛り上がりはなかった。 被爆の当事者は忘れ去られ不毛な議論ばかりが続いていた。それを思うとこれからの 進展に希望が持てる。世界は少しずつかもしれないが前進している。 それにひきかえ菅首相の挨拶は前政権の挨拶かと唖然とするばかりの旧態依然な ものだった。世界最初、唯一の被爆国日本それも新政権の首相が官僚の作文を 読み上げる。広島市長の我々も協力するとの切ないほどの呼びかけになにひとつ 答えようとしない。 このままでは日本の信頼は得られず、世界から見放されてしまう。 産業であれ技術であれ哲学思想ないものは次の飛躍はない。 #
by iagan6
| 2010-08-06 17:39
| 歴史
黄金週間中孫を連れ(連れられ?)万博記念公園に行ってきた。 40年前、マンガのような近未来都市に多くの人々がおしよせた跡とは 思えない気持のよい青々とした広場、人工とは思えない森。 都会には貴重な公園になっている。 オオタカが営巣している一画は立入禁止としてその成長を見守っている。 30年ぶりか野原に寝っころがり青空を見あげ、なんと気持のよいことか。 芝桜が広々と植えこまれ美しい。若いころから好きな花だが、 私の記憶にある芝桜は、庭のかたすみや石垣の間にひっそりと咲いていた。 可憐な乙女のように淡い色だったと思う。遠い記憶のうすれか、種類が違うのか。 秋の花ではコスモスが好きだった。これは記憶違いではないとおもうが、 今、観光用のコスモスのように原色に近い花ではなかった。 もっと上品な日本の色だった。 孫のオモチャも脳の発達に良いとかでケバケバしい。誰かが科学的に証明したのだろうか。 原色に近い芝桜もコスモスも玩具もオジイサンにはすこしさびしい。 #
by iagan6
| 2010-05-18 17:30
| 雑感
今年もヒロシマ・ナガサキの原爆の日が過ぎた。 オバマ米国大統領の「核兵器を使用した唯一の国の道義的責任」 による核廃絶にむかうという演説はうれしいかぎりではあったが、 米国民の根強い正議論を説き伏せるのにどのくらいの年月が 必要なのか。 8月6日、上記の番組が放送された。日記を残した少女たちは 私の母校の前身、広島第一県女の生徒達。この日犠牲になった 教職員20名生徒277名の一部である。 人気のあった生物の先生から「若い君達はいま、人間の一番 美しい季節を生きている」と語りかけられた少女達は一瞬にして なにも分からぬままこの世から消えてしまった。 その後も今になっても後遺症に苦しみ、死んでいかなくては ならない人がたくさんおられる。 太平洋戦争でなくなった日本人は310万にのぼるとか。 その1割ちかくの人々が原爆のため1945年内になくなっている。 母校の同窓会は今でも犠牲になられた方々のため黙祷から始まる。 ちなみに人気者の生物の先生は以前、わが師の恩で書いた 木村二郎先生である。他所の動員場所へ引率されていたため 命を拾われた。 #
by iagan6
| 2009-08-12 12:07
| 歴史
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